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12月28日 雪道 气温持续上升,路面烂得一塌糊涂,只得步步为营。
一脚一脚,一滑一收,每天都象走在滑雪道上,一旦摔了可比滑雪道疼多了,因为那些是冰。
mp3在耳里无端呻吟着,手在口袋里“下一曲、下一曲”。不是音质差,也不是歌不好,而是光走路已经耗费了所有精力之时,是没有闲情去听歌的。就像老师总是唠叨农民不会为大自然歌唱;建筑工人也没兴趣讨论健康健硕之美……
大家都说我这么勤更新是太闲了,也许真是那样。一边想着,伸手一把扯下了脖上的围巾。
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気温が上がりつつ、道がもう雪や氷や水でめちゃめちゃになり、一歩ずつも気を使わないといけない。
歩き。すべり。立て。毎日もスキー道を歩いているようだが、いったん転んだらずっと痛い。それは氷やアスファルト道路だから。
プレーヤーがイヤホーンを通してあれこれと歌い、指が袋でツギツギと押しっぱなし。曲か歌詞かの問題ではなく、歩くだけでも精一杯であるこのとき、どうも歌が鑑賞できる心ではないわけ。農民は壮美たる自然を称えはせず、労働者は筋肉の美などは気にしないといつも年配の人に言われるように。いくら疲れたとはいっても、論文に集中する期間、気分転換とかする余裕がないとも言われたように。
ブロックも同じ。毎日更新している私があまりにも暇だといつもそう言われ、たぶんあてるかも。いくら話したいことがあっても否認できない。
と思いながら、あまりの暑さでマフラーを外した。
難題最近続けて難題を聞かれる。大体次のよう:
1、夫婦別居についてどう思う?
2、愛はどこ?
3、人生の目的は?
4、ゲンさんにとって人生は何?
これはこれは答えられると思う?
①はなんと鋭い質問。もちろんいいことだとは思わないけど、世間は何もかも望むどおりに行くものではないよ。
②は私に聞かないでください。神様にあると答えていい?
③これも分からない。ところが、神様のところに戻るため、神様のためだと牧師がそう教えてもらった。
④に、人生は体験だと答えた。辛くても苦しんでも喜んでも悲しんでも、いろいろ体験をし、愛を味わい、愛を分かること、それで、愛で世間を人生をみるように。(それは出来ることかっ!)
GENBINはバカモノだよ、そんなのを聞かないで…
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最近老是被问到一些古怪问题,比如说
1、对夫妻分居有什么看法?
2、爱在何方?
3、什么是人生的目的?
4、你觉得人生是什么?
难吧!难道他们以为这些问题可以回答吗?
1、这也太尖锐了吧。当然不是什么好事,但世事未必总如人意。
2、不要问我。我告诉你在上帝那里你信吗?
3、不知道。牧师说是为了上帝,为了回到上帝身边。你说呢?
4、我说人生是体验。在品尝酸甜苦辣的过程中,知道什么是爱,学会如何去爱,而后能用爱看待一切。(可能吗?)
拜托,我很笨的!不要问些这么高智商的问题好不好?
下雨了 根据地理老师的资料,札幌的年均降雨量是广州的一半。一半有多少?就是基本不下,偶尔下一次,约莫能积水。
平安夜的一夜大雪之后,气温慢慢向零度靠近,最终超越。昨天5~8度。然后,今天下雨了。把路面上早被踩实的雪块各个击破,变成一个个水坑。水坑之间是冥顽不化的灰冰,雨水滋润之下,圆润而光滑。
札幌的路大多是柏油路。反正这里不会有广州那样炎热的天气,不会晒出油来;反正这里的路素颜见人顶多不过半年;反正铺得再平整一下雪就会因众多各异的脚印和各种雪融现象变得高低不平……总之不用去管什么美观之类,给地球套个水泥壳子。
下午3点,本来想去学校看书,出门不足十米已经滑了若干次。照这样下去,晚上回来的下坡路可怎么走?!于是,返回十米,放下书包,前往近处超市买些食物。哧溜哧溜的地面上,登山鞋根本不管用。本来嘛,那雪山上怎么会下起雨来呢?有时候想,这种路面,女孩子的尖尖高跟鞋是不是会很稳呢?一钉一钉地走,跟钉鞋可不是一个道理吗?
4点半,返回电脑前。打开msn,依然全线飘红,以为大家都诡异地过年去了。询问之下,才知道昨天的地震震断了许多经过台湾海域的光缆系统,海外网站大多登陆不了。恰好今天完全不想写日语,恰好今天基本没有读者。
12月27日,益发空旷的日本街道,静待新年的来临。
12月24日 イブ 澄川は8年前最初の一人部屋があるところのように、静かで豊か、町など外の世界と無関係。
今日はイブ、午前礼拝の約束があるので、吹雪にあたって、すねまで積もった雪を踏み込んで、揺るぎながら教会に向かった。さすがイエス様がご誕生、ほとんど溶けちまった町中の雪がそれ以上世界をかぶり直してきた。毎日歩いた道が白く膨らんで、果てがないように見える。その中を跋渉している私がまことにちっぽけなもの。一歩踏み出し、両側から雪がショット靴に入り、ゆっくりと私の体温に溶けられ、また足肌を冷やす。これこそ私の初冬だろう。雪の洗礼。
ところが、神様に断られた。理由はいっぱいあると思うよ。敬虔ではない、生活が混乱すぎ、心が乱れ、…あまりの眠さで、そこに座って賛美を歌っているときでも集中できなかった。こんな私が断られるのも当たり前でしょう。しかも、礼拝が終わってから、すぐ、今日はイブだということを空の彼方に忘れた。「レポートぐらいは…」と聞かれるまで。いや、聞かれたことを思い出すまで。実は、今日は何の日だと言われたか聞こえなかった。ただの冬休みの週末だろう、なんでそんなにおかしいの?って思った。捨てられた子には祭りがない。
それなのに、感謝すべき。望むどおり立派なホワイトクリスマスをくださいました。ありがとうございます。
この夜、クリスマスの名を借りて自分にプレゼントをくれた--メール出し放題。皆様「メリー クリスマス」!
もちろん、自分にも。短い文句に納まっている遠い昔の暖かい思い出を抱えてこの夜をお送りしましょう。
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澄川就像8年前的大朗,宁静而充足,与世无争。
今天是圣诞前夜,因为约好了早上要去做礼拜,挣扎着爬了起来。一夜风雪,竟然堆到小腿深。上午九点半,还没有人来得及铲雪。于是,一步一步走进去,雪从靴边滑入,软软的,然后凉凉的,最后冰冰的。天上还在吹着雪,铺头盖面而来,小小的街道白得竟有些富态臃肿,熟悉的小路一眼望不到头。深深浅浅,摇摇晃晃,我走我的路进行我自己的洗礼。
然而,上帝放弃了。也难怪,唱赞美诗都打瞌睡不能集中的人哪里还有救呢?更何况,我本来也不是什么虔诚的信徒,生活混乱,心绪更乱。以至于礼拜一完,就把今天是圣诞这码事忘了个精光。天知道我为什么大早爬起来受罪?!
12点回到学校的时候,几乎所有的路都被雪封住了。下午有人问我为什么来学校,我说有很多报告要赶啊,他很不解地说,报告而已,用不用啊?那时候,我比他更不解。直到晚上回家的时候才想起来,今天是寒假+周末+圣诞+年末+……,总之真不应该是一个人呆在自习室的日子。尤其是女生。唉……算罢了。
不过不要紧哦。我的愿望还是实现了~白色圣诞嘛~,昨天看着都没什么希望的,今天一早就变了模样!怎么能不说是上天垂怜呢?
于是,我奖励自己群发短信,祝大家圣诞快乐!可惜没有国内那些满天飞的段子,少很多乐趣。
「メリー クリスマス」这几个日语字,连带若干年前的回忆,也送给我自己。那些从前的朦胧的身影,你们还好吗?
memo三上章『現代語法序説』(1959年 刀江書院): 「ヨオロッパ語のセンテンスが主述関係を骨子として成立することは事実であるが、それは彼等西洋人の言語習慣がそうなっているというにすぎない。決して普遍国際的な習慣ではないし、また別に論理的な規範でもない。わが文法界は、それを国際的、論理的な構文原理であるかのように買いかぶってそのまま自国文法に取り入れ、勝手にいじけてしまっている。だから、主述関係という錯覚を一掃し、その錯覚を導入しやすい「主語」を廃止せよ、というのは、いわば福音の宣伝なのである。」 「主述関係の毒害は、英文法の授業が平行して行われているという環境のために、いよいよ顕著になる。… 英文法と違って、日本文法には主述関係が存在しないという事実を、知識としてもたたきこむくらいにしないとだめだろう。そうするには、むろん英語の先生の協力も絶対必要になるが、ここは順序としてまず日本文法の関係者に訴えているのである。」 三上文法はすでに世に知られているが、「主語廃止論」が出される当初、数学教師だった三上に戦う勇気を与えたのは何だろう。諸言語には優劣がない。今の言語社会に生きている私たちは母語の音声さえちゃんと出せない子供を見て、「英文法の毒害」=>英文教育の毒害を、中国語話者にしても日本語話者にしてもいっそう強く痛感しているのではないか。だが、黙ったまま、変えられている。 「只怕不抵抗」(抵抗しないことこそ恐るべし)! 12月23日 2006年冬至 22号冬至,找不到过年感觉的我,看到日历变成22,心就开始痒痒。去年的今天就在想火锅啊!
然后,几经思想斗争,终于在张出现在我面前那一刻投降了:今天冬至啊!不如吃点啥吧。张家里有很多肉,我家有很多菜,所以我们决定,学习完去超市,蔬菜半价就去她家,肉半价就来我家。结果当然是有一点点半价的肉了。日本这个地方,除了黄叶子,不然不可能有任何半价的蔬菜。一路上张嘟嘟哝哝,为什么就是不去我家,为什么:)
我千方百计把张拐来,可锅不给面子!在火上煲好了锅底,洗净切好了若干蔬菜,按计划将汤转入电饭锅,这样就能真得像打火锅一样了啊!至少我记忆中大学时都是可以的。可是,可是,日本不是,那个要命的“炊饭器”,半天也冒不出一个泡。我俩端着酱料碗,大眼瞪小眼。过了一会,张从包里摸出一块饼干:“不如先吃点这个吧。”我接过来毫不客气的塞到嘴里。30秒后,抬头间,张看着我问:“好吃吗?”,我赶紧把剩下1/3递过去:“对不起。其实味道一般啦。”
好不容易冒泡了,也只煮成了几片萝卜,白菜帮子和土豆统统没熟。于是,每人捞两片萝卜,继续守着锅发呆。张拍拍锅鼓励她:加油啊!辛苦你了。锅静静地闷头苦煮。
终于我忍不住了,分成两锅,一锅大的放在火上,弄成烩菜;另一锅就是可怜可爱的炊饭器,请她老人家慢慢帮我们煲。之后,我们有了另外一些萝卜片和土豆片,还有豆芽和鸡肉。咔嚓咔嚓的咬着,电饭锅终于有消息了。我拍拍她的小身子,捏着嗓子说:我也会扑哧扑哧呢…… 哎,扑哧扑哧出几条青菜梗……
结论就是,这个小电饭锅不能用来做火锅。别说火锅,连俺们当初的电热锅都不如!
2006年的冬至火锅,结束在无限残念中。
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22日は冬至の節句。民間では「冬至大過年」という話があって、冬至は新年よりも大切な節句だという意味。
大学から、南のやり方に従って、皆と一緒に火鍋で祝ってきた私は、一年中せめてこの日に誰かと一緒にいたいと心のどこかに思っているでしょう。去年のこの日にもおなじことを考えた。
実は、張門弟子らしく餃子を作るか、南人間らしく火鍋かちょっと迷ってたが、こんな忙しい「冬休み」にやはりあきらめよう…夜、張が現れ、ついに相談した。「今日は冬至よ、火鍋でもしよう?」それで、COOPに野菜半額なら張のところへ、肉半額なら私のところでやることにした。ちょうど昨日野菜いっぱい買っておいたから。結果は言うまでもないこと。日本では野菜半額なんか考えられない。
「なんで私のところに来ないのか」と張は呟きつつ。なのに、せっかく張を家に騙し連れてきた
待ち続け。張はカバンからお菓子を一つ出して、「これを先に食べよう」って、私「はい」といいながら、もう口に… 「おいしい?」kitkatだけ食べた張が聞いた。「ごめん、これでもよければ、どうぞ。……でも、まあまあだよ。」手元に1/3しかのこってない。 ハー、本当におなかがすいてあせっちゃったね。
ついに、待ちかねて、鍋を二つに分けた。一つに野菜やお肉を入れて、ストーブでゆでて食べる。もう一つはもちろんわが親愛なる炊飯器様。おいしいスープをお願いするね。何時か、やっと、少し出来上がったとき、もう全然そんな気分ではなくなった。「よく頑張ったね。お疲れ様。」と張は嘆き、「この私だって、ぶつぶつ出来るよ、見て見て」私は炊飯器の真似を…お芝居でもできる暇になったの!!!
炊飯器様、ごめんなさい。無理させちゃった!
張、ごめんね。また夜中に一人で帰らせて!
2006年冬至、残念あふれの火鍋。私たち二人にも初体験の火鍋。
12月21日 また木曜 木曜にチャットすると約束したが、あのボケshuangはまた忘れたでしょう。じゃないなら、また自分で順調に登録できなかった?
待ち人が来てないけど、オトウトガ珍しく待ってた。来週かあさんがシュジュツって。あんな強い人がニュウインするなんて、想像にもつかないこと。きっと怖がって、髪の毛が真っ白になったでしょう、なにより、もんあんな年だし。なのに、電話するかって聞かれたとき、断った。本人が私に心配をかけないため、絶対教えちゃいけないって言ったので、やはり知らないふりをしたほうが安心させるでしょう。と判断したんだ。あの二人、いつまで強がりたいの?一度帰って見ないと…
この間、いろいろな縁で日曜イブ礼拝に行く約束をした。
今、ハハのために祈るなら、おテラへ行くべき
おテラに通っている身でキョウカイに入っちゃいけない
……
今日は一日中練習した。おかげで、夜のお稽古であまり惨めにはならなかった。しかも、六段完成。おキクちゃんも家に連れて帰りました。これでお伴が二人、ボケとおキク。
女は水(諸説之四)中国語で「女は水」という話はすでに飽きるほど聞かれている。だいたい次のような解説がある:
① 一般的な言い方では、女子は水のようなやわらかい、優しい心の持ち主だと比喩され;
② プラス的な言い方は、女子は水のように清らか。
③ マイナス的な言い方は、女子は水のように世間を流れ、情けない、変わりやすい。
もう、これ以上はないと思えば、昨日また新しいな説があると教えてもらった。ある日本の中年男性だそうで、極個人的なものかもしれないが、説としては興味深い:
④ 水のように、どこにもある、どこでも飲める。水には綺麗なのも、汚いのもあり、どんな水を飲むのは本人の望み次第だが、水を離れないこと自身は人情の常。
また、ほかの言い方もあるでしょうね。
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“女人是水”这句话早已烂得不能再、酸得不能再酸,恨不得扔一地鸡皮疙瘩。大致我们会有下面三种理解:
最普通的,比喻女性的温柔体贴。所谓“柔情似水”啦。 (1
好一点的,说女子像流水般清澈、纯净。(2
不好听的,当然就是水性杨花。说女子像流水一样无情、易变。(3
从来也没想过还能有其他解释,直到昨天,听朋友说起他朋友的说法。是一位日本中年人。虽然只是个人意见,不过,作为一种解释,不妨一看:
4) 像水一样,无处不在。当然,水也有优劣清污之分,选不选,选什么水,是个人的自由。但对水的需要却是人之常情。
或许,还有其他的说法?
12月20日 猜想 前两天作的考古录音整理里有句话很有意思,说全国发掘的元代以前的墓葬有70%以上都在山西,而这些墓葬又有70%在晋东南。是真是假,无从求证。只是觉得数据背后的原因很有想象空间。
比如:盗墓的太少?
比如:山西元代以前都是全国人口尤其是贵族人口最多的地方?
比如:……
不妨一起来猜一猜?
疲れた もう冬休み。
中国人なので、12月に全然年末だとか新年だとか思えない。目の前は急に静かになった廊下だけ。談話室が消灯のまま。皆姿を消えてから、その明かりになじみを感じた。この二日間もそこでパンやカップメンを食べてた。4月に、まだ皆帰ってこないときもそうだったらしい。
おととい、Cからのメール「…笑顔で最後までがんばっていくしかない…」
私の返事「一刻も止めずに自分を応援してくれるのは自分だ。毎朝自分の笑顔を眺めて、強くなるよ…」
だが、今日ちょっとさまよった。笑顔が自分に見せるのではなく、人に見せたいものなのかと、誰もいないパソコン室でYMに聞いた。人に見せることによって、笑顔=生きることを確認するのだろう。笑えない今日は疲れ気になった。
生きる、生きていく、先生も皆も精一杯生きている。私も。
12月19日 八点半澄川 また、八時半に帰り道にたどった。新しい道を歩いてからもう一週間、気持ちいい。特に、澄川を眺めること、もう儀礼になったように。
昨日、Riさんと一緒に帰った。「私 本当にバカだね、澄川に住んで、全然澄川ってどこだか考えたことがない。毎日この川を通っているのに、澄川だと思ったこともない。~~~ちなみに、これは澄川でしょう。」って自嘲した。ところが、Riさんも知らないって。何年もここにいたのに、知らないって。
もっと身の回りに気を配って とかなんとか、いつも年配の人にそう言われてる。でも、全然頭に入ってない。八時半の澄川が副道2号橋を渡って、枯れ枝の蔭を静かに流れてる。川岸の坂はすでに積雪に覆われ、膨らんでいるように見える。実は、川水がほとんど見えない、橋の底に白い岸に挟まれている黒い淵だけ前へ延びている。また、目の前に広がってきた枝枝。ごめんね、夏にとおったことがないので、名前が分からないの。
やっと、また雪が降り出した。待ってた。
明日から冬休み。明日某牧師と会う。
いつかから、神様の使者がいつも身近に来てくれるようだが、その暖かさを浴びてきた私は逃げっぱなし。
いつまで、許しくくれるでしょう。
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又在八点半离开教学楼。改道回家已经一周了,感觉不错。尤其从桥上凝视澄川,现在是每天必做的功课。
昨天跟RI一起回家。我说:住在澄川路,从来没想过为什么叫澄川;每天过这条河,从来没想过他和澄川有什么联系……对了,这河是叫澄川吧。RI说,我也不知道。住了那么多年,也不曾留意过。
老人总要我们留意身边的小事,从来也没放在心上。晚上八点半,澄川流过副桥,穿过枯枝丛影。河两岸覆满厚厚的积雪,倒像膨胀一样。其实,基本看不见河水,跟前只有白色河岸间空空的黑色深渊伸向前方,还有眼前的虬枝。真是抱歉,没见过你夏天的模样,实在是猜不出身份。
昨晚开始,又下雪了。真是望眼欲穿。
明天开始,放寒假了。要见一位牧师。
不知道从什么时候开始,总有一些使者一样的人来到我身边……
不知道,我还有多少时间?
12月17日 一休み また締め切りの直前に徹夜となった。一休みしてから、再開する。
中国某地考古対談録音整理の件。いろいろな歴史人物、年号を調べ、また、お墓の名称とか、絵画用語も調べながら、オ ソ ク進んでいる。でも、楽しみ。
そして、すごく面白いことを知った。「ゴキブリは風神!」。『広辞苑』で調べたら、「ゴキブリ」の漢字は「蜚蠊」、ちょうどこの「蜚蠊」が中国北魏時代の墓葬絵画で足の速い「風神」として旗に書かれ、墓主が速く昇天できるようと祈っていたらしい。まあ、古人もいい加減な人だね。いくら速くても、そんな気持ち悪いものを風神にするなんて、ふざけすぎはない?
検索すると、『九天』の注釈に「風神風伯蜚蠊」が見える。これはこれは、屈原様のご発想か?!
鍋にジャガイモをゆでてる。ぶつぶつの音が耳に入り、狂の台詞を思い出した--「お前も聞いただろう。風の声…」。言い換えれば、次のように
「お前も見ただろう。ゴキブリの影」
いかがですか?
--------------- ハハハッハハ また先人たちにやられたなぁ。
深夜,整理某地考古录音中。查各种年号、人物,补充历史知识;查各种墓葬名称、壁画术语,补充考古知识;顺便把最近看《鬼吹灯》的知识再调用起来。进展缓慢,却饶有兴味。
有大发现哦!今晚已经放倒两个人了。那就是风神,我们威猛的风神,原来(其中一个)原型是蟑螂!!!蟑螂学名蜚蠊,因**速度快,被北魏时期的人在墓室壁画里画在仪仗队旗帜上,祝祷墓主早日升天。古人真是真是想象力太丰富,太能胡扯了。那玩意儿再怎么快,那是蟑螂啊!
然后在其中一个搜索页面看到《九天》的注解“风神风伯蜚蠊”云云。老天爷,难道是屈老夫子的发明?
锅里在煮土豆,扑哧扑哧冒泡的声音让我想起鬼眼狂凝神静气巨酷无比的那句台词“你也听到了吧,风的声音。”,要是,要是,通感一下:
“你也看到了吧,蜚蠊的影子”
倒!
唉,古人真是了不得。
PS:周星驰同学昵称之小强,现在大家一同昵称之小强,原来可以说是慕习古风!饿滴风神啊!
12月16日 私は**なら Tゼミ紹介を聴講させてもらった。『源』の始まり紹介だった。物語をいきいきに語ることがT先生の一番強いところで、ご専門の『源』も言うまでもないこと。
先生のやり方か口癖か、いつも在席の学生に「~~さん/君ならどう思う?」を聞きながら、ストーリーを進める。おかげで、改めて『源』の冒頭部分を聞きながら、真剣に自分を桐壺更衣、弘徽殿女御、藤壺、朧月夜、葵の上、六条御息所に置き換え、また、性別を換え桐壺帝、光にもたちかえて考えた。あれもこれも心苦しい人ばかり。
ほかにE先生とU先生の紹介も伺ったことがある。両方とも紫の上を中心に深い愛情をこめたご紹介だった。私は紫の姫が最初から定めた悲劇人生に心痛くてたまらなかったが、男性である先生二人は紫が幸せだとおっしゃった。光に心から愛されてるから、光を心から愛してるからって。どうでしょうね、「女心」は。または、「幸せ」と「かわいそう」はもともと対立的ではない?
私は和泉式部なら、私は狭衣大将なら、私光源氏なら、私……私は自分だけであっても!
人の物語に、自分の心を痛め、涙を流すのは女?恋愛事故も多く、あの日「先生、彼女のある男性をすきじゃダメ?」って聞かれたとき、可愛い草色姿を思い浮かび、どうしようもなく返事を恐れている。忘れようと忘れない原因が人それぞれ、痛みは誰一人逃れない。男と女。
できれば、身代わりでもしてあげたいわ。その苦しみをすべてこの身に。
------------------------------------------------------- LINK:日本語版《般若波羅蜜多心経》 ---------------------------------------------------------
旁听某学习小组课程介绍,讲《源氏物语》。这位老师最会讲故事,加上《源》是她的专业,那个让许多人头疼的故事硬是被她讲得高潮迭起。
老师喜欢一边讲一边提溜人起来问“如果是你,你怎么想?”。熟悉的情节在耳边响起,我不知不觉真的想象自己是桐壶更衣、是弘徽殿女御、是胧月夜、葵夫人、六条妃子,又换身男性,想象自己是桐壶帝、是光源氏。每一个人每一个人都在苦海沉浮。
之前另外两位男老师也讲《源》,两位大概都是紫姬的粉丝吧,言辞之间掩饰不住怜爱。这两位都异口同声地认为紫姬很幸福,因为她爱并被爱着。真的吗?从女性角度看也一样认为那种注定的悲剧人生是幸福吗?又或者,“幸福”与“嗟叹”并不对立?
如果我是和泉式部;如果我是狭衣大将;如果我是光源氏;如果……我连自己的都%%
女生才会为别人的故事流自己的眼泪吗?这一年恋爱多波折,某天又被问到“有女朋友的男生是不是不可以?”,女孩一袭草青色连衣裙楚楚宛若面前,该说可以还是不可以呢?为什么都要带着一样的心痛,努力忘掉那些本不该有的。
人生是苦。我若是佛陀,便能照见五蕴皆空,度一切苦厄……
12月14日 倒着说复习《Batman begins》,好像没有记忆中精彩。电影还是要在电影院看。
复习四段,依然弹得一塌糊涂,老师说:我没什么可教你的了,剩下的只有练习和体会。
短距离撤退。如果不能改变,难道还不能离开吗?
听和泉式部的恋爱故事,这个女子不寻常……
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『Batman begins』復習。思ったほど面白くはない。
四段復習。まだ出来てない。もう教えるものはない、これから練習次第だと師匠より。
近距離撤退。どうしようもないことなら、引き取れば…
『和泉式部日記』を紹介してもらった。平安時代にあんな情熱な女性がいたなんて、信じられない。
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入口九又四分之三站台,魔法世界的入口。相信有另外一些人在地球的另外一些地方用另外的规则活着,这种感觉真好。更何况还有入口?
どこかにほかの人たちがほかのルールで生きていることを信じるのが気持ちいいこと。しかも、入り口まであるとは、、、
マジック世界への入り口
12月13日 琐碎(些細事) 马上就要放寒假,人闲下来,就止不住胡思乱想。
其实我也弄不清自己是想用日语写东西,是有些东西只能用日语表达,还是,还是用日语不怕肉麻 :) 嗬嗬,只是养成外语的思维方式真不是容易的事,这一点看自己的日志,最清楚不过了。再怎么换语言,还是那个YM。看日本人的,还是看不懂。不一样的不仅是表达方式,而是包括题材提取、叙述角度、修辞手法、隐讳方式等所有方面。也许就像昨天大家说的,网络语言并不能算作文学(文学无国界?),但是不是文学跟日常语言又能有多大关系呢?
今天以为自己想喝酒,后来决定赏自己一个麦当劳汉堡套餐。双层牛肉汉堡里有很酸很大难以忽视的酸黄瓜片,谁说麦肯是全球一致,他的舌头肯定没长味蕾!而该死的日餐,奶茶居然是冻饮,本来想来取暖,结果吃得手脚冰凉离去。发短信给同学,说自己没出息地用汉堡奶茶当酒,她大约没看懂。却意外收到短信,跟希腊人对诗,玩机锋。有趣有趣!
人生何处不相逢。“无害”与否,并不由自己判断。
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暇になると妄想が止まらず。
なぜ日本語が増えてきたかとは私もよくわからない。始めは日本語を練習したかった、今はときどき日本語じゃないと伝えられないときもあり、まあ、日本語なら変な(肉麻 ?)話でも平気に話せるのも理由の一つだろう。ところが、いくら練習しても文法だけ、言語変えてもYMらしいものだけ、日本人的に物事を考え、日本語らしい日本語を書くことは無理。昨日、インターネット用語とかの話があったが、文学を討論するつもりではなかったので、問題は用語とか文章力ではなく、事件から視点、それから文字になる経緯よ。
人に嫌われることがおお久しぶりだね、わけが分からないが。いつもの道を離れ、暗い夜に別の高い橋にしばらく立ってボウとした。夏なら、川端にちょっと座りたいなあ。---日本のマックは少しもおいしくない!しかも、冷たい!暖めようと入ったんだが、体まで冷めちゃったなんて、むしろ、最初から酒にしたほうがいいかも…
今日もいい言葉をいただいた--「少年老い易く学成り難し」。進むしかないわ。
PS:「統計」を見て、今日Googleで「「いい夢を見てね」什么意思」を調べて、ここに案内された人がいるらしい。おかしい~~~
12月12日 当头棒喝 上课讨论翻译中的话者视角以及日语中的人称省略现象。作为反例,我提到《自杀日记》,那个除了“我”就是“自己”的超级罗索东西。印的是第96天。老师说那是网络文体尤其是网志文体的特点,同学说:将自己的事昭告天下,这人铁定死不了。这种东西就是用来安慰自己的,有什么用呢?
“安慰自己”,约等于无病呻吟吧。还有他当时的轻蔑表情,让我非常震动。
除了安慰自己,我最近还干了什么?!我可不要把这里变成《自杀日记》!
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O先生の授業で翻訳中の話者視点および日本語の人称表現を話題にした。その反例に私は『自殺日記』(あと5日)をコピーしてきたが、その一人称溢れるもの。先生はこれがインタネットおよびブログ特色だとおっしゃって、クラスメートYは「自分のことをみんなに教えるなんて何をするんですか。こんなやつ絶対死なないよ。こんなものは自分を慰めるぐらいのもんじゃないか。」と発言。
「自分を慰める」、とそのときの表情に、びっくりした。
そうよ、「自分を慰めるぐらいのもん」か。だが、私はこの間、自分を慰める以外何もやってないじゃん。
ここを「自殺日記」にならないように、しっかりします! 12月11日 月曜のデート 今朝、自分のお筝に会いました。張から「これから仲良くしてね、つきあってもいいよ」といってもらったので、今日は初デートかお見合いになるでしょう。
けっこう立派な「方」です。相手だと考えて落ちづいた竜頭のお箱を選ぼうと思ったが、やはり雰囲気がちょっと似合わないため、結局オレンジ色のお菊さん柄をつけた。先生のお室に静かに座っている可愛い姿を眺めて、私が男性役でもやろうかと思った
高いいいものは近いところは響かないが、遠くまで響く、それに対して、安いものは近いところだけよく響いて、遠くまでは行かない、ソローには出せないと先生が正直に教えてくださった。おっしゃったとおり、お姫様は部屋内にすごく響いてた。日本語を習っているとき、いつも「曖昧性」を強調されてたが、実はすごく正直な面もあるとつくづく体験している。隠れも、偽りあふれのお世辞もしない、その正直さに本当に感心してる。その同時に、自分の決めたことへの責任もはっきり意識する。
夜の文化特論で、それぞれ自分の思う「聖地」を紹介させてもらった。「聖地」って宗教的なところのほかはないと前はずっとそう思ってたが、答える瞬間、なんの信者でもない私に人の心が一番神聖たるところだと思ってることに気がついた。きちんと守って、親愛なる人にだけささげるものは心。一生を尽くして分かろうとしても、たどりつく日はないものはやはり心。なのに、大切にしている。神様のように「この世にはいない」神聖たる存在ではありませんか。
札幌はまだそれほど寒くない。ここの天気に慣れてから、毎日もスカートを穿きたい。スカートと長靴で雪を踏むとき、踊ってるような気がする。
また、恥ずかしいことを言っちゃった。
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