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September 28 松气 明天28日,若菜会85周年纪念演出,她们要弹唱《夕颜》,我最想学的曲子之一。我想知道筝曲里是怎样咏唱这个露水一般的女子的。 明天是长假前的最后一天班,我的课在一早一晚,晚上的大学城还有多少学生会为了副修课留下来呢?于是大家商量人太少的话就合班看电影,恩,看什么电影好呢?我的存货都是三年前的了。不太出名的片子想推荐的也就是《冰点》了。一会儿看看能不能下到《恋空》吧,网络真好!--再猜猜语音室的电脑能不能读avi文件呢? 总算改完最后一本作业,仿佛嗅到了假期的味道。想要恭喜学生也恭喜我自己总算可以结束五十音图了。HL因伤回来养病,我们已经过了一个多星期的宅日子,每天鸡鸭鱼肉也不知能不能在他身上创造出奇迹。电视里刚放完粤语版的《后天》,于是很想去看《水啸雾都》。 2008年唯一一个黄金周就要降临了!有什么好建议吗? September 22 认真开学了 久违地开始念あいうえお,心里特别不自信⋯⋯ 我好像有点不太适应从零教起了。 有同学想要快进,我说专业课没有必要快进,但是知识量必须增加=>图书馆。学外语到最后拼的其实是汉语,汉语以及可以用汉语阅读的知识,然后我们才拥有用外语与人交流的平等资格。这么多年不断体会的只有这条心得而已,痛感。 HL受伤,中秋过完就回来养伤了。于是我们一起养猪,日子过得很平淡,忘乎所以连脑子都懒得动。好又多里面都是退奶的人,我才知道有那么多人是一车一车买奶买奶粉的,那得多害怕啊! 广州还是很热,热得我时常没有勇气去洗碗,每日里汗如水下,手绢濡湿。阿菊的房间朝西,想着就可怜,于是会专门为阿菊开半天空调,只希望上野老师来的时候,不要太让她老人家生气。可是,《春之姿》啊,《六段》啊,已经很生疏很生疏了⋯⋯ 新学期快乐 {^し^} September 14 中秋快乐 我的日历上写着明天才是月圆之夜,而今天是中秋。其实古人也说:十五的月亮十六圆。他们却也执着的说今天是中秋。该说遗憾是美,抑或赏月就是共同仰头企盼,又抑或因为这只是个无伤大雅的miss? 今年中秋没有月饼。去年千里迢迢让家人寄了月饼,今天人在广州,却只想静悄悄地过去。如此大悲大喜的一年,一己之私显得那样无足轻重。所有的生命在媒体上都会变成数据式的说明文,装作权威的正义模样。那些数据们没有新年,没有端午,没有奥运,没有中秋⋯⋯数据外的我们,只好苟且偷生吧。 中秋之夜,望你也能对月斟上一碗清茶/浊酒,诉说自己对世间的思念,绵绵的思怨⋯⋯ September 12 ookyoo手抄诗一首 【二泉映月】 暮秋 天寒 无雨 晨霜也染白须发 褪色的青袍 无力承起孤独 在落叶砸伤踯躅者的世界 只一把心爱的二胡 像个温柔的影子 一遍遍流淌出久孕的哀音 是悸动 是漠然 是凄清 是痛 是想忘而不能的滴滴点点 是欲哭而无泪的点点滴滴 于是 两道甘冽的泉水 汇入你枯萎的瞳孔 一弯暗淡的紫月 拉长你幽怨的心事 相映之间你若有所得 浸濡之后你将失去 在千古与一瞬离合的臂弯 终于拥出了让全中国都颤抖的楚魇 暮冬 无寒 无雨 端坐 正襟 紧弦 最后的一瞥 竟苍凉了半个世纪 空山中 谁个呜咽 谁在听 阿炳 还冷吗? 夹在我大四的课本里,经反复辨认,还是认为是ookyoo的笔迹(我居然还认识⋯⋯)。你还记得自己有这个爱好吗? 记得那几年特别多阿炳的磁带和有关他的报道,听着看着,记住了一些名字和一些往事。 问:[楚魇]怎解? 復習『芭蕉の傾倒と師弟関係のあり方』 芭蕉の傾倒と師弟関係のあり方 ーー早稲田大学法学部 若葉して御目の雫ぬぐはばや この芭蕉の句には、「招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎ給ひ、御目のうち塩風吹入りて、つひに御目盲させ給ふ尊像を拝して」という前文がある。 鑑真は唐の高僧で、聖武天皇の時代、五たびも渡海に失敗し、すでに老境にあるうえに重なる苦難のため盲目にさえなったが、いささかも勇猛心を失わず、日本人の願いに応じて最初に渡航をくわだててから十二年目、つひに仏教を正しい戒儀を日本に伝える目的を上げたのであった。当時の奈良仏教は低迷して僧尼は堕落し、どうして規範をととのえ、信仰を正しい姿にかえすべきかが、為政者の悩みで、唐からすぐれた戒師を招くほかはなかったのである。 外国の文化のはげしい流入期には、その華麗とともに退廃を免れ難い。その外国文化の本領を確実にとらえなければ、それを本当に自国のものとし、創造と独立を期することはできない。天平の文化は、鑑真を迎え得たことによって、結構をととのえることができたといっても言い過ぎにはなるまい。まことに、鑑真は、天平文化の高くかがやく「いらか」であった。 芭蕉が、唐招提寺を訪れて拝した鑑真像は、どの像であったかわからないが、もっともよく世間に知られているのは、鑑真が唐から連れてきた寺院芸術家がつくった乾漆の座像で、入寂直前の高貴な姿を写したものといわれる。その像に接すると、慈愛があふれて、しかも信仰によるたくましい精神が現れていて、おのずから頭がさがる。 芭蕉が「御目の雫ぬぐはばや」と吟じたのは、もとより尊像の盲眼から涙のしみ出るのをみたわけではないが、鑑真の十二年にわたる渡海の労苦を思い、芭蕉みずからの旅のさすらいと苦行の悲しみが、共感をさそったのであろう。共感ばかりか、苦難をのりこえて、すみきった心境にある風容が、芭蕉を鑑真に傾倒させ、はげましの力となったことが、この句のなかに読みとられる。これは、およそ弟子が師をとらえ、師を学ぶ態度をもあらわしているように思う。 ひとは、人生の途上、だれかを師とし、人間形成影響をうける。だれかを人生の師とするのは、とくにそのひとになんらかの共感を覚えてのことである。共感がなくて、傾倒することはできない。傾倒することがなくて、真に学ぶことはできない。共感を持つためには、自分で苦しみ、求めるところがなければならない。われわれは、人生の途上、さまざまないひとびとに出会うが、自分が深く苦しまず、深く求めてもいないために、師とすべきひとをとらえ得ず、とらえ得ても、傾倒し得ず、じゅうぶんに学ぶこともせずに終わるのである。 知識や技術だけを学ぶのであれば、必ずしも人間と人間との接触を要しまいが、人間を作るには、人間と人間のふれあいがなければ効果をあげ難い。鑑真を唐から戒師として招いたのもそのためである。しかし、しばしば、師に親しく接触するあまりに、師の言行の末節につまずく弟子がいる。何らかの欠点もない人間がいるわけはないし、何らの害毒をも含まない思想があることはないのである。もし、自分が何に苦しみ、何を求めているかを深く知り、それゆえにとらえ得た師であるならば、その一事によって、ひたすらに師を見つめ、他のことに目を奪われることはあるまい。このことは、ひとにものを学ぶもの、弟子たるものが、ともすると忘れる落とし穴である。 百年前に出版されたジョン・ラスキンの『この最後の者にも』を開いてみると、「さまざまな国家的製造業のうちで、質のよい人間をつくることが、結局は最も有利な事業だということになる」といっている。「人間づくり」の重要なことは、今に始まったことではない。「人間づくり」は生まれた人間を質のよい人間に育てるということであるとすると、結局は教師と弟子という問題に帰着するであろう。弟子には適切な弟子の態度がなければならないが、教師は、弟子に対して、どのような態度をとらなければならないであろうか。 いやしくも教師といわれるひとで、まじめなひとであれば、人間をつくる教師であることが、決して容易なわざではないのを、経験しているであろう。ただ人間か人間をつくり得ると思うのは、思いあがりでもあろう。 仏教教団である僧伽では、仏教学者の増谷文雄氏の解説によると、同輩も後輩も「善き友」で、仏陀すら「善き友」であって、なんら特別の存在ではなかった、というのである。もし教師が、弟子を相より相はげまして、おなじ道をゆく仲間だと考えるならば、みずからも心落ちつき、「人間づくり」も効果をあげるのではあるまいか。この僧伽のことを思うと、芭蕉が「御目の雫ぬぐはばや」と吟じた導師鑑真のおだやかでたくましい風容が、さらに意味を加えて納得される。 鑑真とその弟子たちの「善き友」の交わりを思いおこして、唐招提寺の金堂の側を流れる泉のように、その清澄がひとびとの心にしみわたり、師弟の結縁の姿がととのえられることを望むのである。 大学三年のテキストだったか、四年のだったか、もう判断できない。ただ、案の通り、完全に誤読されて来たことは分かった。十何年前に、覚えたのは「共感」と「傾倒」二語しかなかった。いったん目を奪われたら、直後の文の完全に無視された「共感を持つためには、自分で苦しみ、求めるところがなければならない。」 十一年ぶりに読み直してみると、キーワードは「人間づくり」と「善き友」のはずだろう。弟子とすると、師に共感をもとめ、傾倒し、師として、深く接して仲間に入れれば、お互いに楽しめるのだろう。 September 10 杂记昨天做了一锅饭,今天才吃上。真难吃啊,大米长成这样,真是有负天恩。于是又想起北海道,我知道自己一定会怀念那里的天空,却没想到还有那里的大米。两个月能吃掉一袋米岂是玩笑,晚上馋了半夜饿了,都抓的是饭呢。斗大的房间,转过身去就能舀一勺米饭,回过头来津津地嚼,嘴里溢出米甜。再喝上一口茶,就对自己笑了:真能吃,胖死你!
又去好又多补粮,蔬菜档上只剩下若许残瓜败叶。强大而有闲的师奶们是会站在那里,一颗一颗的剥了板栗肉出来再拿去称。那些没有硬壳的西红柿,茄子,黄瓜⋯⋯只好天天都遍体鳞伤。今晚剩了很多小瓜,小小的嫩嫩的,却也因伤痕累累,横陈在架上无人问津。 每次见到这些,心里都会很难过。我不知道商场每天浪费这么多蔬菜图什么 ,可是可是,不怕报应吗?! 今天教师节,越来越抵触教师节。我不明白这个节有什么意义,也不明白在这个节里应该做什么。 过几天就是第一个中秋节假期了,可是今天听说他们要给军训的学生搞什么晚会。以前没假就算了,现在有假凭什么不让人家休息呢? 再过两个星期就是国庆了。今年国庆提前过,每年国庆我都希望一直黄金下去… 又去杜mm(好久没打这三个字了)那里怀旧。从现在往以前倒着看,看到《复活》,又一次忍不住哭了。半年过去了,她比以前更懒了,也许是因为更勤奋了。半年过去了,她已经在另外一个天地生活,而字里行间的娇憨依旧,还是那个札幌,还是那个她。 过去总是消失得那么彻底,当下总是来得如此突然,就像将来永远不可捉摸。当我泪水泡泡地看着她的四月旧闻时,我问自己:如果重来一次,你会更早更大地敞开心扉吗?--YM说:不。害怕离别,害怕失去,宁可不再拥有。因为珍惜,而恐惧。 September 08 伤那一瞬间,她插了一句不必要的话。
那一瞬间,我的询问,她的回答。 那一瞬间,她的叮咛,我的回答。 那一瞬间,她的迟疑,她的询问,和她的回答。 于是这一夜,几人辗转,几人心伤…… 最伤在思量,最伤在迟疑。一辈子的深情啊……不要辜负了。 September 07 梦昨晚梦见她了,她不愿意跟人家说话,我就拉着她的手走在前面,像好朋友似的,时不时耳语一下挤兑一下,她终于抬起头笑了。 一直没敢认真看她,怕吓着她她就不理我了。我们还是走着,走过胡同…… ……就要成为朋友了。 ------------------------------------------------好喜欢,好喜欢。 September 06 你周末做什么「秋で、日曜日で、お天気で、どこに行っても人でいっぱいですよ。そういう日にはこんな風に部屋の中でのんびりしてるのがいちばんですね、疲れないですむし、混んだところに行ったって疲れるだけだし、空気も悪いし。僕は日曜日にはだいたい洗濯するんです。朝に洗って、寮の屋上に干して、夕方前にとりこんでせっせとアイロンをかけます。アイロンかけるの嫌じゃないですね、僕は。くしゃくしゃのものがまっすぐになるのって、なかなかいいもんですよ、あれ。僕アイロンがけ、わりに上手いです。最初のうちはもちろん上手くいかなかったですよ、なかなか。ほら、筋だらけになっちゃったりしてね。でも一ヶ月やってりゃ馴れちゃいました。そんなわけで日曜日は洗濯とアイロンがけの日なんです。今日はできませんでしたけどね。残念ですね、こんな絶好の洗濯日和なのにね。」 と『ノルウェイの森』でワタナベの話。 結局、この小説が好きにはならなかったけど、いくつかの場面、かなり日和的な場面を覚えたのです。例えば、病院でのこの話。けど、全く違う感想もあったんだ。気持ち悪いとか...十何年経っても、やはり分かるものでないとは意外だった。前に、この小説を紹介してくれた先輩に報告したい、おっしゃった通り合わなかったんだと。 今日は洗濯とアイロンがけの一日を送った。すごく気持ちよかった。その度に、思い浮かべたのは上の話だからここに引用した。 あしたもお天気になるように。 「私は、あなたと違うんだ」ーー福田元総理の名言。 すごい話ですね。日本語にしても中国語にしても...特に前文と結んで聞いた場合。 中国語なら「私はあの人と違うんだ」は普通だけど... September 02 暑假记7月16日 抵京。打着读培训班的旗号抛下父母,却在一天天犹豫中蹉跎掉。 7月20日 周末过去以后,我开始当煮妇。小汤小菜的,找到了日子。 有一天,去了怀柔,吃所谓的虹鳟鱼。那样一个天空碧蓝的日子,我们终于迷失在去往慕田峪的路上,最终去了雁栖湖。这是一个老式的公园,有湖有船有飞镖有碰碰车⋯⋯还有郊游的青年。那天,我很困。 8月7日 奥运会要开幕了,我俩一起跑到厦门。第一个半天充满失望,第二天HL独自端着啤酒和竹蛏薄壳蚵仔煎在大樟树下找到了真义。第三天大部队上岛,他搬到路旁的悠亭,面街的小房子有若干大露台,露台外鲜花盛开。那天他短信说:鼓浪屿真小,我都躲你们好几次了。我和我的同学们在岛上又徘徊了两天,大家说我不认路,我一点也没想要去哪里看到什么,只想就这么走来走去,或是潮起潮落,或是轮渡抵埠,我就像鼓浪屿上的某一块岩石,把这一切看在眼里。 8月11日 终于要离开了。我没想到会以这种方式离别。从植物园外美丽的坡道走到那湾宁静的码头,后来就再也没有聚集了。我只知道有很多人奔忙在办理机票,我只知道googoo吆喝我们插队说:马上要起飞了。一路慌张急行,就像当年离校。还记得听到广播室晓龙又熟悉地“耻笑”了我一下,然后,我消失了,大家都消失了。 8月11日 飞机上播的《笛声何处》,好地方好题材,就是故事太差了。我还是最喜欢《春天狂想曲》,谁能帮我找到? 8月20日 总算联系到第一位老师。 8月22日 出发去坝上。一路上星星就在手边,看了个够。开始是北斗大马勺,接着半个月亮爬上来(果真一派旖旎!),然后是漫山遍野的星星(银河),至中夜皎月当空⋯⋯乐极生悲的是司机在茫茫草原上迷路了,3点50,司机撂了,睡了。我们下车解手,看月亮,又回到车里等日出。IT精英们纷纷开始帮忙找路,有人惊呼我的手机怎么是飞行模式!众人笑醒。4点30,东方一线红。 8月23日 抵达旅店已是启程12小时后。房间后面是个大草坡,草坡上只有一座红色的房子和几棵树样的东西。那天早上,我去骑马了,二字儿坏得很,滴滴答答把我颠得心肺肝胆都移了位置。望向遥远天际,终于知道这许久的烦恼都是虚妄。 8月24日 带着腰疼腿疼肩疼,大家哼哼哟哟地下楼来。五彩山的草坡有好多好多花花草草,还有好多蘑菇。司机看我们兴奋模样,撇撇嘴说,这荒山野岭的也有人爱来。因为路遥,我们又在野地里啥啥了⋯⋯远处的公路上,听见男生们在吆喝。我们趁机在向日葵地里美了一美。然而,阳光总在风雨后,风雨也总在阳光后,3点半才吃上的午饭,还把西瓜跌落在了井里。这天因为闭幕式,外地车限行,我们被转卖两次,终于平安回到五环。11点半,一碗拉面一串羊肉,味比山珍。 8月25日 某人发现高烧39度。在华信医院挨了两针,一针在手一针在臀,告诫我们即使头孢也是有可能过敏的。因为要去医院点滴,我们每天逛大街,尝到了久违的阳光休闲滋味。就像,就像多年前高尔夫的一个午后。 8月29日 被拒在北大门口。 8月30日 登香山,无限风光在险峰,起步后不久就败了,很丢人。而后大家移罪香山以宽慰我,我也借香炉峰顶的一抹细雨洗涤自己。在limin家里,左手玉米右手腐乳,我告诫她:网友猛于虎啊!两个云南媳妇,是该好好交流一下。 8月31日 广州好热。家里都是红糖虫子,又成了百废待兴的地方,难道我的一生都要忙于重建?收到丽江来的明信片,听见了小二楼推窗的声音。 以上。 |
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